2006年6月21日 星期三

每天都是一種練習 no.1

最近大家在瘋世足賽,應景來一篇文章好了。

朝日新聞專欄"天聲人語" 2006/6/20

実に厳しいことになった。サッカーのワールドカップで、
日本はクロアチアに善戦したが、勝てなかった。
仮にブラジルに勝ったとしても、
決勝トーナメントに出るには難しい条件がつく。
ブラジルは、第1回大会からすべての大会に出場している唯一の国だ。
優勝5回は最多で、最近の3大会は、いずれも決勝に進出した。

日本的世足賽之路越來越艱難了。
對克羅埃西亞一戰雖發揮了實力力拼到最後,卻終究沒能獲勝。
接下來即使贏了巴西,想在淘汰賽的決賽中出線也是相當困難的。
巴西是世足賽中唯一一隊每一屆都有出賽的國家,
不僅在世足賽中得過最多次的五次冠軍,最近三屆世界杯也都進入決賽。

リオデジャネイロのマラカナン競技場は、
世界最大級のスタジアムだ。
1950年に行われたブラジル大会当時は、
20万人を収容したといわれる。
試合のない日もスタジアム見物に来る、
世界中からの観光客を相手にした私設ガイドがいた。
スタジアムの建設工事に雇われ、そのままスタジアムにいついてしまったという。

巴西的里約熱內盧(Rio de Janeiro)擁有世界最大規模的體育場馬拉卡納(Maracana)。
1950年在巴西舉行的世界杯足球賽,據說馬拉卡納體育場曾容納了20萬人。
即使是沒有比賽的日子也吸引了世界各地的觀光客前往,
甚至擁有體育場私人的導遊為遊客做導覽。
聽說體育場的工程建設所僱用的人也甚至就直接住在體育場裡了。

50年大会で、このスタジアムで、
いかにブラジルがウルグアイに敗れたかという大番狂わせを、
実況中継風にとうとうと語る。
ブラジルにとって勝利はニュースではなく、
敗北は何十年も語り継がれるニュースだからだそうだ。

1950年在這個體育場上巴西竟輸給了烏拉圭---
如此令人跌破眼鏡的意外結局直到今日仍讓大家如實況轉播般的不停討論。
對巴西來說勝利並不是什麼大新聞應是因為那一年的敗北讓他們十數年來仍無法釋懷。

このサッカー王国は、日本とは地球の反対側同士だが、
ブラジル移民には100年近い歴史がある。
作家・石川達三は、
自ら移民船でブラジルに渡った体験をもとに小説「蒼氓(そうぼう)」を著し、
第1回の芥川賞を受けた。
石川が渡航した30年に隣国ウルグアイで開かれたのが、
ブラジルも出場したワールドカップの第1回大会だった。
歴史的にも、日本とは異なる大きな蓄積がある。
しかしブラジル人もまた、同じ人間には違いない。
「望みなきに非(あら)ず」。
石川のこんな小説の題を思い起こしつつ、いい試合をと念じた。

足球王國巴西雖然與日本分別處於地球的兩端,
但移民史卻已將近有一百年。
作家石川達三以自己坐船移民到巴西的經驗為基礎寫成小說「蒼氓」,並獲得第一屆的芥川獎。
1930年石川坐船移民,
同年巴西也參加了在鄰國烏拉圭舉行的第一屆世界杯足球賽。
在歷史上與日本大不相同,巴西已儲存了長久的實力和經驗。
但是同為人類,巴西人和我們並沒有不同。
我想起石川的小說”不要放棄希望”,
不由得在心中祈禱著能夠有場好比賽。

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日本人真的是個執念很深的民族。
結果固然重要,但過程的確是無法抹滅的。

小王,雖然你對國民隊被逆轉,但我仍然不會忘記你投了一場精彩的球賽!(----->怎麼說到這裡來.......Orz)

我想到第七季在美國原本眼看無望進決賽,最後卻意外的晉級。
並未時時掛念著是否能進入決賽,只希望自己的每一場表現都是最好的。
如果在過程中我付出了百分之百的努力,那麼我想也許我就值得得到自己心中的第一。

天阿,比賽真是種熱血的東西。

1 則留言:

yfwoody 提到...

大家有空的話幫我看一下我的中文....
是不是有更好的用法,或是哪裡中文語法不太對的......
或是變成日式中文了......